都営三田線のコンビニ

 

このコンビニは板橋区の国道17号線の新板橋の交差点を50メートルほど入った所にあります。
都営三田線の出口を出てすぐの所に在るローソンです。
近くには30階建てのタワーマンションが在りとても分かり易い場所にあると思います。
ほぼ毎日行くのですが、平日は仕事の帰りに地下鉄を降りて立ち寄ります。
休日は大体、夕方徒歩で行っています。別のコンビニでも良いのかもしれませんが、ちょっと遠回りしてもそのコンビニへ行ってしまいます。
相性が良いのかも知れませんが、何処に何が置いてあるのかも分かりますし、お目当ての物が必ずあるので間違いないようです、他のローソンへたまに行くのですが欲しい物がない時があり、物凄く損をした気になります。
これだけ通うとお金の方も中々入用で、今は行くのを減らそうかとも思って居る所です。他の人は分かりませんが毎日コンビニへ行く人は多いのでしょうか少ないのでしょうか、大体コンビニへ行くと一回で600円~900円程使います、ちょっと使い過ぎかも知れません.
ただ、今凝っている物があるのです、それはローソン限定の焼き鳥です.
特にお気に入りが鶏ももの塩とタレで、毎日食べずにいられなくなっています。この行きつけのコンビニは必ず置いてあります.
これに350リットルの缶ビール2本とパックの日本酒一パックを買います。
たまにイカリ豆とかブラックガムをたします。先ず店内に入り日本酒、缶ビール、レジでもも塩一本、ほんの1,2分で済みます。
そこで店内を出て、ちょっと脇により鳥もも塩にかぶりつき缶ビールをググッと飲むのですがこれが最高です。
それこそ雨が降っても雪が降っても、もも塩と缶ビール、現在完全にとりこになってしまっています。
又ここのローソンは新鮮で美味しいのです.他のローソンはたまに干からびた物が置いてあり、がっかりする事があります。
マイコンビニ一番です。


占いで迷いを

2年前から、私の部署に異動してきた上司が経営ビジョンもビジネスマナー、一般常識、顧客意識など何かと欠けていて、人生に迷いました。
このまま、この会社にいてもいいのかな?と本心から迷いました。
私には大切な家族がいますから、「このままではこの部署がつぶされてしまう!」と危機感を持ちました。
それくらい、ビジネス感覚のない人でしたから、私の同僚や後輩も不満を漏らしていました。会社の帰りに、同僚や後輩と飲みに行くと上司の愚痴ばかりでした。どうやら、会社の上層部も私の在籍する部署に送り込み、責任を取らせる形で退職させようとしているようでした。
しかし、そんなことされたら私の部署のみんなは困ります。こんな、閉塞感のときにネットの占いを片っ端から見ていました。とにかく、簡単に見れるものに頼りたかった、何かにすがりたかったのかもしれません。
インターネットの無料の占いですから、当たろうと外れようと、結果はどうであれ少しだけポジティブに物事を考えることができるようになったと思います。
なかには、「将来、出世すること間違いなし!」みたいな事が書かれていることもありました。

そのようなポジティブな結果をみたときには、「自分は将来、間違いなく出世できるんだ!」と自分を奮い立たせて仕事に望みました。問題の上司とは、できるだけ衝突しないように、自分が下手下手に出ることを常に意識しました。
「人間にはいろいろな人がいるのだから、このような人とうまく関わることができれば、自分が成長していくことができる!」と考えて、インターネットの占いのポジティブな面だけを信じて、仕事に取り組みました。
そんなとき、たまたまみたインターネットの占いで「新たなビジネスチャンスの到来」とかいてあるものを見つけました。

半信半疑でしたが、その2日後に、本当に新たな取引先と良いビジネスのお話をいただくことができました。
このとき、「インターネットの占いは、本当に当たるものもあるんだ!」とただ、驚くばかりでした。
その後も、少しずつ新たなお仕事をいただいて下ります。結局は、占いの結果が良くても自分が努力しなければ良い結果を得ることはできないと再認識することができました。
もし、次に同じような出来事があったときには、インターネットの占いは使わないし、信じないと思います。
次に占いをするときは、易者さんなどの本職の占い師に鑑定してもらうかもしれません。
実際に自分でお金を払って鑑定してもらったほうが、結果のありがたみに違いが出てくると思います。

 

それで、今度行こうと考えているのが、

町田 占い ジョルナ です。

 

ついでに、易者さんには出世運だけでなく、金運や健康運、それから恋愛運(既婚者ですが)なんかも、鑑定してもらおうかな?と考えています。
特に、健康運については年齢的にも、注意しなければいけないですからね。
もちろん、健康診断などもしっかり受けるつもりですが、人生何があるかわからないじゃないですか。

 


足立区立保木間小学校

 

私が通っていたのは、東京都足立区に有ります、「足立区立保木間小学校」です。
私は小学校のすぐ隣の団地に住んでいたので、小学校までは徒歩約10分で、道も見通しの良い1本道でした。特に目印となる建物はなかったのですが、近くには、「保木間公園」」という大きな公園があり、帰り道に良くそこで遊びました。
外で遊ぶのがとにかく大好きで、少年サッカーチームに所属していたこともあり、1番得意な科目は体育でした。運動会の学年選抜のリレーの選手には6年間ずっと選ばれました。体育のほか、音楽、図工といった実技の課目は得意だったのですが、それとは対照的に、教科書を使う課目は本当に苦手でした。特に、算数は本当に苦手で、数式がなかなk覚えられずテストの点数が毎回低くて、その度に「もっと勉強しなさい」とよく親に怒られました。
同級生の男女比は約半々で、ゲームが得意な「名人」と呼ばれる男の子、クラスの盛り上げ役だった話のおもしろい「ヒロくん」という男の子、体が大きくて余った給食をどんどん食べる「ジャイアン」というニックネームの男の子、背の高くて豪快な「ちーちゃん」と呼ばれる女の子と、個性溢れる子がたくさんいました。隣のクラスには子役として劇団に所属している子もいました。その中で私は特に特徴があるわけでもない「至って普通の子」でした。
担任の先生は「古沢先生」という男性の先生で、千葉県出身でJリーグの柏レイソル大好きで、いつも授業の最初に柏レイソルの話をしてから授業を始める先生でした。午前中に1回、午後に1回ある20分休憩の時間では真っ先に校庭へ行き、私たちとドッジボールやサッカーなどをして遊んでくれ、授業中も絵を描いての説明を織り交ぜて教えてくれるようなとても丁寧で情熱のある先生でした。その絵が本当に下手で、先生が絵を描いて説明するとクラス全員で笑ったのが良い思い出です。
そんな小学校で1番楽しかったのは運動会です。運動、特に短距離が得意だった私は個人の徒競走でも1位をとり、学年のリレーの選抜の時には一気に3人を抜いたこともあります。そんな運動が得意な私のために、父母姉、そして時には田舎の長野から叔父や従兄弟が見に来てくれました。運動会の話をしながらお弁当を食べたという当たり前で何気ない日が本当に楽しかったです。
一方本当に嫌だったのは授業参観です。教科書を広げての勉強が苦手だったために、先生から当てられても答えられず、答えても正解することはほとんどなく、その度にみんなに笑われ、恥ずかしい思いをしました。
そんな小学校生活の1番の思い出は6年生の時に行った「日光・宿泊教室」です。みんなで一緒にカレーを作り男女ペアで肝試しに行き、みんなでお風呂に入ったのが初めての体験で、且つ、本当に楽しかったです。寝る前には部屋で定番の「好きな人」の話をしました。私には「なおちゃん」という好きな子がいたのでそのことを話すと「なおちゃんが」のことを好きな子が他にも2人いたのは驚きでした。
中学校は保木間小学校のすぐ隣にあった「足立区立六月中学校」に進学しました。保木間小学校からはほとんどの子がこの中学校に進学したので、小学校から仲の良かった友達に加え、他校から来た新しい友人もでき、楽しい時間を過ぎしていきました。

 


何でも楽しかった少年時代

私の子供時代の家族構成は5人家族で、祖母、父母、姉と私の5人でした。
その当時私たちが住んでいた場所は東京の中部あたりで都心までは電車で約1時間くらいで、東京のイメージに合わないでしょうが水と緑と自然に囲まれた場所でした(東京の西半分は緑豊かで意外に自然が豊富なんですよっ!(笑))し、かぶと虫やくわがたに不自由したことが無く、堆肥と呼ばれる落ち葉を集めたところにかぶと虫は卵を産むのでそこを探したらかぶと虫の幼虫がたくさん出て来たので鳥獣店に売りに行ったら「いらない」と言われたのは今となってはいい思い出です(笑)。
祖母はもう相当高齢だったのであまり話した記憶はなく、父は仕事人間で叱られてで、母も躾には厳しかったのです取り合えず私が悪いというスタンスの人で、姉も弟を持つ姉なので性格がキツくいつも些細なことで喧嘩ばかりしていて頭から水をかけられたり分厚い少女マンマの本を投げつけられたりしていました(まあ、ただの兄弟喧嘩なのですが(笑))。
父の職業は建設会社のサラリーマンで主に現場監督をしていて、趣味はゴルフとマージャンでした。
母親は専業主婦で趣味はママさんバレーなどをしていましたが、性格はとても楽天的でしたが躾は厳しかったです。
祖父は私の生まれる前に死んでいてこの世にはもう既にいなく、祖母は温和というかとても高齢という感じでした。
姉は1つ年上の年子で性格はキツくあまり優しい姉ではありませんでしたが、成績やクラブ活動の方は私が全く興味が無かったせいか覚えていません。
とにかく、子供時代少年時代というのはTVが面白く、私はウルトラマンが大好きだったので朝6時からのウルトラマンの再放送を見ていたのですが、TVが両親の寝床にしか無かったので親父に「うるせえっ!」と怒られ、今度はイヤホンをして観ていると「明かるいっ!」と怒られてイヤホンをして毛布をTVの上から掛けてウルトラマンを見ていましたのも今となってはいい思い出です。

嬉しかったのは毎週日曜日の早朝に父親がイヤイヤながら釣りに連れて行ってくれることで釣りから帰って来て朝9時頃だと思いますがTVの「マチャアキ海を行く」、「スター誕生」を見るのが楽しかったです。
その他に釣りの帰りに父が漫画「アスロト球団」の単行本を買ってくれるのでそれも嬉しかったです。
小学校5年生の時に毎週日曜日の朝から起こされて釣りに連れて行かされるのに父が嫌気がさしたみたいで有無を言わさずリトルリーグ(少年野球)のチームに入れられたことが悲しかったです(日曜は釣りもしたかったし、私は野球をするのがあまり好きではなかったので)。
その他に楽しかったことと言えば、日曜の朝は家族4人でマージャンを毎週していたのが楽しく、土曜の夜の日本昔話、クイズダービー、ドリフ、Gメン75、日テレの西遊記orちょっとマイウェィ、土曜ワイド劇行、ウイークエンダー、横溝正史シリーズ、日曜の夜8時からはドラマ「俺たちは天使だ!」を観てから寝るなど本当に子供時代、小学生時代はTVを観ることが楽しかったです。
昔のテレビが楽しかったというのは娯楽の少ない時代であり思い出補正もあると思いますが、子供の頃というのは何をしても楽しかったと思います。
私の父の兄弟は8人兄弟だったのですが、私の父だけが会社に就職したので長男でないにもかかわらず祖母は私の父に老後の面倒を見てもらいと思い父を我が家の跡継ぎに決めたそうです。
私は気ぃ使いっ子だったので学校から帰ると必ず祖母に会いに行き、大晦日でも祖母の部屋で祖母と2人でこたつにあたりながら紅白歌合戦を観ているような気のやさしい子供だったのですが、その祖母も晩年はすっかりボケてしまい私が高校生の時に死んだのですが、一人で祖母の介護をしていた母が臨終の席に居合わせることができずに号泣していたのを見た時にとても悲しかったのを今でも覚えています。